卒業生の近況など、オープンにして良いものは顧問までメールをください。このページに掲載していきます。

顧問退任記念謝恩会 2017/5/6 ホテル阪急インターナショナル

 この度、私の顧問退任記念謝恩会を盛大に催していただきました。楽しみにしておられた辻野先生は体調がすぐれず、当日欠席となり残念でしたが、主賓として岩立三郎範士にご臨席を賜り、総勢127名の先生方、卒業生が集いました。それぞれ久しぶりに会う仲間も多く、旧交を深め合うとともに、現役中のエピソードが次々に語られ、話に花が咲きました。二次会にもたくさんの卒業生が集い、ここでは恨み節も飛び出し、恐縮することしきりとなりましたが、本当に楽しい時を過ごさせていただきました。
 教師冥利につきる過分な催しをしていただき、家内ともども感激する一方で、ご負担をおかけし大変申し訳なく思っております。しかし一方で、清教学園剣道部としての品位と風格という観点からは、これ以上は望めない面目躍如たる会であったとうれしく思います。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。皆様の益々のご活躍を祈りつつお礼の言葉とさせていただきます。
(文責:神谷)
道場額 挨拶 剣道部卒アルより

卒業生懇親会 2015/12/26

神谷宅にて

野口先輩 結婚式 2015/12/05 於:KKR東京ホテル

野口貴久乃先輩(35期)が結婚式を挙げられました。懐かしいメンバーが揃い、楽しくあたたかい披露宴となりました。

卒業生懇親会 2014/12/25

清教学園理事長旗争奪高等学校剣道大会終了後、神谷宅にて。みんな剣道がすきです!
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古川先輩 結婚式 2014/2/22 於:En Fance OSAKA

34期 古川先輩が結婚式を挙げられました。

横手先輩 結婚式 2013/3/10 於:RAVIMANA KOBE

30期 横手先輩が結婚式を挙げられました。 上杉先輩、嶌田先輩ご夫婦、橋本先輩、米澤先輩が祝福に駆けつけ、披露宴を盛り上げました。

昇段審査結果

剣道四段 堀玲(26期卒業生)
2012/02/12(日)兵庫県王子スポーツセンター

卒業生懇親会 2011/12/27

清教学園理事長旗争奪高等学校剣道大会終了後神谷宅にて。剣道の面白さに花が咲きました。

昇段審査結果

剣道六段 下野大輔(元本校顧問)
2011/11/24(木)日本武道館

昇段審査結果

剣道六段 熊原美子(本校生徒保護者)
2011/11/20(日)名古屋市枇杷島スポーツセンター

昇段審査結果

剣道四段 古川真士(34期卒業生)
2011/10/10 (sun) 大阪市立中央体育館

卒業生懇親会 2010/12/26

例年通り、清教学園理事長旗剣道大会のあと、神谷宅にて懇親会を開きました。例年通り剣道談義に花が咲きました。

昇段審査結果

剣道四段 井中千緋呂(39期卒業生)
2010/10/10 (sun) 大阪市立中央体育館

昇段審査結果

剣道三段 山本明日香(高校33期卒業生)
2010/03/22 (mon) 大阪市立中央体育館

卒業生交流会 2010/01/03

1月3日の卒業生交流会は盛会のうちに終えることができました。
芝田先生(現 河内長野市長)も駆けつけてくださり、華を添えてくださいました。
辻野先生もお元気で、寒梅の詩吟も披露くださいました。
卒業生と現役生との団体戦は 0(1) - 3(4)で現役生徒の勝利となりました。
稽古会も道場一杯に熱気あふれる厳しい地稽古となりました。
来賓の先生方も卒業生も精一杯の基立ちをしてくださり感謝でした。
全国各地から里帰りを兼ねて帰省中の卒業生がたくさん参集くださったことは本当にうれしく思いました。
またたくさん激励金を頂き、心より感謝申し上げます。
今後とも後輩の指導をよろしくお願い申し上げます。来校をお待ちしております。
皆様の学校・職場でのご活躍を部員一同と共にお祈り申し上げます。

文責 神谷昌宏

卒業生懇親会 2009/12/23

2009 清教学園理事長旗争奪高等学校剣道大会は卒業生の支援もあり、盛会裏に終了いたしました。
感謝申し上げます。大会終了後の神谷宅にての懇親会の写真をアップいたします。

卒業生交流会 2009/01/03

1月3日学校にて催されました卒業生交流会の後 33期〜36期・38期の有志22人が集まり二次会を持ちました。
みな酒を酌み交わしながら高校時代の思い出話に花を咲かせました。
僕らの代も今春から社会人になるものが多く、清教剣道部思い出もここで一区切りかなということで、会もかなり盛り上がり、昼のOB会と合わせていい節目とすることができました。(文責 35期 杉田)

玉井 厚実 先輩(23期・五段)の活躍

第25回 全国家庭婦人剣道大会( 2008年7月19日 土曜日 於:日本武道館)に和歌山県代表として出場されました。
試合は予選リーグ 和歌山 1 - 2 富山、和歌山 0 - 4 島根と惜敗しましたが今後の課題も得ての参戦で有意義であったとのことです。
益々のご活躍を祈ります。(写真チームの左から二人目)

インターハイ

インターハイにさししましては多くのお心遣いを頂き、感謝申し上げます。
結果は 1回戦惜敗となりましたが、今後の稽古に活かしたいと思っております。
引き続き先輩方のご支援とご指導をお願い申し上げます。

近畿高等学校剣道大会

近畿高等学校剣道大会に際しましては、遠路たくさんの卒業生の応援を頂き、感謝申し上げます。
試合は残念ながら初戦敗退となってしまいましたが、この悔しさをバネにインターハイに臨みたいと思います。
今後ともよろしくご声援くださいますようお願い申し上げます。

近畿高等学校剣道選抜大会

近畿高等学校剣道選抜大会に際しましては、遠路たくさんの卒業生の応援を頂き、感謝申し上げます。
また女子団体用の「百錬自得」の竹刀袋を新調頂き合わせて感謝申し上げます。
試合当日は揃いの竹刀袋で整列いたしました。
試合結果は、奈良県優勝校の奈良大学付属高校には善戦し引き分けとしましたが、滋賀県3位校の草津東高校に1(4) - 2(6)と有効打突の取り合いとなり惜敗いたしました。
6月のインターハイ予選(近畿大会予選)に向けてさらに精進いたします。
卒業生各位には今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。

2007年 卒業生交流会

本年も恒例の交流会がにぎやかに行なわれました。
卒業生はもとより、各方面から先生方もお集まり頂き、基立ちだけで道場がほぼ一杯になるほどの盛況振り、内容的にも充実した稽古となりました。
交流稽古に先立ち富田林高校との練習試合も行なわれ、現役生にとっても貴重なひと時となりました。
終了後は清教会館にて旧知を暖め、それぞれの近況を報告することができました。
卒業生の皆様には例年ながら過分なお心遣いを頂き感謝申し上げます。
写真を掲載しておりますのでぜひご覧ください。
社会人となっておられる先輩も、学生生活を謳歌しておられる先輩もともにご活躍をお祈り申し上げます。
あわせて本年もよろしく後輩のご指導お願い申し上げます。

2006年 卒業生交流会

1月3日、恒例となりました新年卒業生交流会は多くの方々の参加により盛会に終わりました。
本校の関係者はもとより各方面より多くの先生方もお見えくださり、地稽古を中心とした練習も熱のこもったものとなりました。
また卒業生各位からは多額のご寄付をいただきました。
クラブ運営に活用させていただきます。感謝申し上げます。
今年も四恩会員各位の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
母校の後輩への指導もお忘れななきようよろしくお願い申し上げます。
写真ご参照ください。

昇段審査結果

剣道三段 米沢佑一(高校30期卒業生)
2005/07/31 (sun) 大阪市立体育館

交流会

4月4日(月曜日)、堺市福田の割烹「うを茂」にて、33〜35期のOB18人による「四恩会」を催しました。
入院、地方へ進学など、集まれなかった者もいますが、浪人も参加して、励ましもかねて想像以上に盛り上がりました。
これからも長期休みに毎回集まりを持とうと思います。
突然の呼びかけに忙しい中集まっていただいてありがとうございました。
幹事 広口

発足趣意

この度、清教学園剣道部卒業生を中心とした『四恩会』を2005年4月1日付けで発足いたしました。これまでも卒業生の方々は独自に交流を持たれ、また折に触れご来校頂き、ご指導やご支援を頂いてまいりました。一方で、正式なOB/OG会を組織してほしいとの声もずいぶん以前より多々お聞きしておりました。これには卒業後剣友会や進学先のクラブに所属されない方々が昇段審査を受験できないという事態が起こり、所属団体として清教学園卒業生で会を正式に立ち上げて欲しいとの意向も含まれておりました。これを受け去る1月3日交流会後、参加くださった卒業生と話し合いを持ち、その結果OB・OG会として清教学園『四恩会』を創設することといたしました。卒業生ならびにそのご家族、友人、関係者の稽古会の場として本校百錬道場を活用いただければ幸いと存じます。垂れネームを作成される方は、『四恩会』でお願いします。なお昇段審査を受験されるにあたり、所属団体のない方は、顧問までお問い合わせください。

『四恩会』命名の由来は以下によります。
[Zion(シオン)解説]
シオンはエルサレムの東端にある丘の古代ヘブライ人の呼び名です。渓谷にはさまれ、現在は「神殿の丘」として知られています。聖書には、エブス人のシオン要塞として最初にあらわれます。前1000年ごろ、ダビデ王がこれを攻略し、彼の要塞とさだめ、「ダビデの町」の中核として以後、エルサレムはひろく知られるようになりました。もともとは十戒をおさめた「契約の箱」のおかれたところで、エルサレム神殿のあるこの丘は、古代ヘブライ人の政治や文化の中心だったと言われています。旧約聖書によれば、シオンは神の「聖なる丘」を意味し、のちにその名はエルサレム全域とパレスチナの名称となりました。ユダヤ人を「シオンの娘」とも言います。後70年にローマ人によってエルサレムを破壊されたあと、シオンの名は、パレスチナの地にいつの日かユダヤ人の故郷を再建するという希望の象徴となりました。
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